歴史
旭町の由来
寛永(1624~44)の古図によると、この辺りは佐竹右京太夫及び幸若の屋敷地であった。
幸若は能楽師であり、佐竹氏は秋田藩主である。天和2年(1682)の大火でこの付近一帯が焼失した後、佐竹氏は下谷(現台東区)三味線掘に移転し、その後が町屋となった。
蝋燭町・永富町などの町があり、永富町辺りは狸俗『板新道』といって板を売る店が多かったという。
明治2年永富町2丁目~4丁目を合併して佐竹氏の家紋「扇に日の丸」に因んで旭町と改名した。
町内にある『佐竹稲荷神社』は寛永12年(1635)に江戸佐竹候藩邸内の創建と伝えられ、同町の鎮護の神として丑寅の一隅に安置されていたが、大震災後の区画整理に際し現在地に移された。