佐竹稲荷神社
佐竹稲荷神社
秋田藩主の佐竹氏はその先祖、清和源氏の源頼朝の第三子、新羅三郎義光が元服の折、幼名を義実と称し、自らを「稲荷氏」と名乗り「稲荷三郎」と称していたことに端を発しているという。その後、天和2年(1682)のいわゆる「八百屋お七」の大火で、藩邸は下谷三味線掘に移ったが、屋敷のあったあたりは蝋燭町や皆川町、関口町の町屋となり稲荷神社は再建された。爾来佐竹家の家紋「扇に日の丸」を社紋とし、火伏の守護神として江戸府中より信仰を集めて来た。
大正12年(1923)関東大地震で灰燼に帰し、現在地に移して再建されたが、昭和20年(1945)大空襲により再び焼失。昭和26年戦後復興の中、佐竹稲荷仮宮を設置、昭和27年(1952)宗教法人法により、神社庁に登記し、その祭祀は神田明神の神職が兼務し、その護持は地元有志に委ねられた。
昭和30年(1955)町の有力者の肝煎で本格的再建が行なわれ、現在に見られる「総檜一面社御霊屋造」(そうひのきいちめんしゃみたまやづくり)が完成し、今では火伏の神様に加え商売の神様として、多くの信仰を集めている。